晴れ
やっと書ける状態になったかと思うので書いてしまおう。
カテゴリ「子宮内膜症」で書いたけども
20年間同居してきたばぁさまがガンで入院しています。
あと1,2年したらアネキより長いこと一緒に暮らしてきたことになるんだけど、そこまではもちそうにない。
なおみの気持ちの整理みたいな記事です・・・。
・4月28日(ばぁさま85歳の誕生日)
ばぁさまが日ごろ通院している地元の医院から、別の(大きな)病院で検査をしてくるように指示されて救急病院のWに検査へ
(日帰り)
・5月2日
検査の結果を持って地元の医院へ
すぐにW救急病院に行ってさらに検査(入院)するように言われる
W病院に紹介状を持って行って検査を受ける
その場で入院が決まる
この段階でガンだろうという初見がなされる
(この時点では両親しか知らないことになってます。なおみは知らないことに・・・)
4月28日の検査自体がすでにガンの検査だった模様
ゴールデンウィークで技師が休みで詳しい検査が進まないけども、検査結果が出たら本人に告知するかどうかを決めておくよう言われた(らしい)。
これからがばぁさまの検査の繰り返し。
検査があるたびにガン細胞がここからもあそこからも見られたとどんどん出てくる・・・。
ばぁさまには腹水が出ていること、その原因を調べる検査と言ってたし、それは間違いないけど、やっぱ、見舞いに行くのも大変な神経を使う状態。
検査が進むにつれ「末期」との言葉なんかもちらほら・・・。
・5月24日
W救急病院からの指示で某大学病院のほうへ検査を受けに行く
やはりガンを認める
原因の場所を突き止めるには開腹しかないとのこと
ただし、某大学病院では開腹手術の対象になる人は抗がん剤を使用して治療をする人のみ
抗がん剤の治療が可能なのは目安として75歳まで
それ以上になると抗がん剤の副作用に耐えられないと
つまり某大学病院では ばぁさまのガンの場所の特定も、治療も、さらに入院もさせない、しない。
W救急病院へ戻るが某大学病院の検査結果からしても、やはりW病院でも、もうできることがないので退院(転院)するようにせまられる
もともとが救急病院なので長くなる人は転院するしかないのです
転院にしても帰宅にしてもホスピスにしても、本人への告知を先にするべきとオヤジが判断。
帰宅した場合でも腹水はたまるので、ばぁさまのかかりつけだった地元の医院の先生などに相談してみる。
帰宅した場合は先生が往診してくれるとのこと。
さらに、先生の紹介つきで転院先の候補があがる。
ホスピスは環境はいいけども、待ちが1,2ヶ月なんていうのがザラで、開きができるまで持つかどうかって話で・・・。
・5月27日
ばぁさまへ告知
・6月1日
W救急病院退院予定(転院か帰宅はまだ決まってない)
ばぁさまが入院してからはじぃさま(92歳)もしょんぼりぎみだし、まず身の回りのお世話が必要なので、おかんはオヤジの事務所は休んで自宅にいる(事務所や家の財務的なことは全部おかんがしてた。今は来ないから指示はもらいつつなおみが今月は代わって仕事してます)。
おかんの編み物教室の日はおばさん(じぃさんの娘。オヤジの姉)が我が家にいる。我が家のカギも握ってる状態。
いろんなところに影響が出ているし、やっぱり、精神的な部分が家族みんなで不安定で、お互いがお互いを気遣って、みんなはちきれそうな状態です。
命あるものみんな死を迎えます
形あるものすべて壊れます
分かっていても人はその場に直面したときには悲しみ感じるもんですね
なおみはセカチュウの本も映画もドラマも見なかったけど、なんだか今は平井堅の瞳をとじてがミョーにしんみりくるかんじです。( p_q)
今はばぁさまがどうして欲しいのか、自分がどうしたらいいのか、何もわかりません・・・。
自分の病気より、人の病気のほうがつらいです。
でも他人より本人が一番つらいことは忘れないでおきます。